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甲斐犬の陸 たまには外に

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最近の陸の散歩は、いつも近所ばかりで、しかも夜が多いのであります。
たまには外に陸を連れて行かないと。
ということで、久しぶりに陸の川に行ってみました。
って、これも3月のお話でした。

約2時間。
至る所を走り回って興味があるところをチェック。
しばらく見えないと思っていると、戻って来て、
こちらの様子を確認してからまた薮の中へ。
楽しそうです。

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しばらく走り回っていた陸が戻って来ました。
「まだ遊んでいてもいいのかなぁ!!」とでも言っているようにこちらを見上げます。
目がキラキラしています。表情が輝いています。

陸のこういう表情を見ると、こちらも楽しくなります。
連休、どこに行きましょうかね。

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いっぱい走り回って満足すると、
陸はとても素直になります。
聞き分けが良くなります。
そして、側から離れなくなります。


本当のところは、疲れたのでもう帰ろうよ・・・
と言うことなんでしょうね。
車に戻ると、さっさと乗り込んで、
帰りは後部座席で寝てました。

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甲斐犬の陸 連休は何処に

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いわゆるゴールデンウイークに突入しましたね。

陸の同胎兄弟の太郎の父ちゃん、山系のIさんは、東北方面の雪山にお仲間とツアーに行くのに、
こちら、どこに行くわけでもなく、穴蔵のような自分の部屋でMac君とにらめっこ。

腰が痛~えッ!!
目が疲れる~ッ!!
酒呑みて~ッ!!

やま、行きて~ッ!!

せっかく陽気も良くなってきたしね、
陸とどこか近場にでも行きたいです。
まあ、どうせ他の家族は付き合ってくれないので、
陸とふたりだね。

路もお宿も混んでるだろうから日帰りで。

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写真は、3月に撮影。
近所の里山を散策していたら、昔懐かしい風景に出会えました。
子どもの頃は、仲間と自転車で走り回っていると、このような風景があちこちにありました。

薮の中や木の上に基地を作って遊び、
畑のスイカや桑の実、柿などをおやつ代わりにしていました。
たまには、農家の人に見つかり追いかけられたことも。
(これ、もう時効だよね)

連休は、陸と近所を探検でもしてみますかね。

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甲斐犬の陸 東北の旅 その2

陸と行った東北の旅、その に~ッ!!

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またまたあいだが開いてしまいました(汗)
4月下旬なのに3月末のお話。

そのいち~ッ!!では、
岩手県の三陸沿岸を釜石から車で南下して来たわけですが、
そのに~ッ!!では宮城県に入りま~す。

宮城県気仙沼市。
この街も津波で大きな被害を受けました。

第十八共徳丸が未だに撤去されずに、
モニュメントのように街の中に残っています。
ここは大船渡線鹿折唐桑駅前の路の上です。
漁港から約600mも内陸に流されて来たわけですね。

国道45号線から県道34号線に下りて海の方面に向かうと、
普通の町並みから、ぽつぽつと津波被害を受けた家々が現れ、
ふと目を上げると、ド~ンと目の前に現れるのがこの第十八共徳丸。
津波の威力をあらためて思い知らされます。

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そして、空間線量はそれほど高くはありませんが、
地面から5cmくらいの高さにガイガーカウンターを持っていくと、
スルスルッと上がって 0.22mcSv/h。
雨水やホコリが溜まりやすい所はちょっとだけ線量が高い所があります。
これは、陸が住んでいる神奈川県でも同じです。
神奈川県や東京都には、もっと線量が高い所がいっぱいあります。

因みに、陸の飼い主の実家の雨どいの下には 0.31mcSv/h の値の場所があります。
数キロ離れた住宅地には、地上付近で 0.5~0.8mcSv/h の値を計測し、発表している人もいます。
プチホットスポットは陸の住まいの近所にもいっぱいあります。 あります。

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下の写真は、魚市場の先、南気仙沼周辺です。
山ほどあったがれきや壊れた建物の多くは撤去されています。
9月では、地盤沈下で地面が海水に浸かり、魚が泳いでいた場所も、
道路がかさ上げされ、排水もなっているようです。

この周辺は、1m高で 0.06~0.10mcSv/h 。

土地利用の計画がまだできていないのでしょうかね、
かつては海産物の加工工場がたくさんあったこのエリアですが、
まだ更地のままです。

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再建の進まない、がらんとした被災地の一角に、ポツンとありました。
フカヒレ工場でしょうか。
サメのヒレがたくさん干してありました。

復興の第一歩ですね。

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気仙沼終末処理場の近くに積み上げられていた震災がれきの山。
道路から手の届く範囲で測ってみました。
0.15~0.18mcSv/h

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気仙沼を出る頃には夕方になってしまい、
南三陸町では、また日が沈んでしまいました。
薄暮の空に浮かび上がる南三陸町防災庁舎。

この建物の3階の屋上まで津波は達して、
屋上の手すりやアンテナ塔にしがみついていた数人だけが生き残ることができたそうです。

海に近いこの平地に、
人々は家を作り、また住み続けるのでしょうか。

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松島に泊まり、
翌日は、塩竈から多賀城を抜け、
仙台市若林区荒浜と名取市閖上に行きました。

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宮城県の仙台空港の近く。
海沿いに平坦な地形が広く長く続いています。

震災前のこの地域を何度か訪れたことがあります。
水田や畑が広がり、民家もたくさんありました。
ごく普通の生活風景がそこにはあり、
まさかあの時の街がこんなに・・・ という思いです。

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震災から一年が過ぎました。
砂防林の多くはなぎ倒され、建物は基礎を残して撤去されています。
震災前は、こんなに遠くまで見通すことはできなかったです。


瓦礫は数ヶ所に山のように積み上げられ、分別され、
小さなプラントで焼却処分も進んでいます。

やがて農地は除塩され、以前のように作物が実ることでしょう。
しかし、人々が暮らしていた街は、どのようになるのでしょうか。
自然災害の心配の無い土地に、
あらたな生活の場が築かれることが一番のように思えるのですが。

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閖上湊神社の丘から周辺を眺めてみました。
9月にはまだ残っていた鉄筋の市営住宅も撤去され、
民家の跡もきれいに均されています。
建物が無くなってしまった街の跡は、あまりにも広すぎる。
こんなに見通せてしまうと悲しい。

お彼岸が終わってすぐ、
民家の跡地のそこここには生花が供えられていました。


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荒浜の海岸。
海に流された方々を供養するためでしょうか。
砂浜のあちこちに生花とお線香がたくさん供えてありました。

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長い時間の車移動に耐えてきた陸のために、
荒浜の浜で、ゆっくりと身体を伸ばしました。

陸は思いっきり走り回っていました。

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帰路に立ち寄った福島市渡利地区。
市内でも放射線量が高い所で知られています。

自主避難をした住民も多いと聞いていますが、
心配をいだきながらも続けられている生活もたくさんあります。

街には車がたくさん走り、
歩道にもコンビニやレストランにも大勢の人がいました。

高校のグラウンドでは、盛り土を10cm程積み上げたテニスコートでクラブ活動に汗を流す学生多数。
車が上げる土埃の中を、自転車で走る街の人。

車の中の空間放射線量は、0.29~0.46mcSv/h。
地面近くは、1.48~1.62mcSv/h。

ガイガーカウンターの表示が、黄色や赤色に光り、
放射線を感知した時に鳴る電子音が、ほとんど連続して鳴り続ける。
かなり怖い。 恐怖。

このような福島の街で、女子駅伝を開催したり、
小学生の鼓笛パレードを行ったり。
これらのイベントが街の復興につながるということだそうだ。

いままで知らされてきた、放射能が人体に与える影響が科学的に真理だとしたら、
どうなってんだろう福島県。そして日本。

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チェルノブイリ事故の影響は、5年後に現れたと何かの資料で読んだことがあります。
2016年、平成28年、日本が心配。




甲斐犬の陸 東北の旅 その1

3月の末に、陸と一緒に東北の被災地を回ってきました。
被災地の状況をあらためて見ておくのが目的です。

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沿岸部で、比較的津波の被害が軽かった松島。
湾内に点在する島々のおかげで津波の威力が減退され、
街の被害が少なかったと地元の人は言っていました。
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震災後1年が過ぎ、まだところどころ壊れたままの道路や家があったり、
観光船の船着き場周辺の護岸やフェンスが崩れたまんまだったりですが、
おみやげ物屋さんはきれいに改装されたところも多く、観光客も戻って来ていました。
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有名な五大堂。
小島を繋ぐ赤い橋やお堂が、津波の被害を受けていなかったのには驚きました。
三陸や仙台空港周辺の津波被害の様子を見てくると、
松島の五大堂も波を被っているのではないかと心配していたのですが。

小島が点在し遠浅の松島湾が、津波から街を救ったのでしょうかね。
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釜石の湾の入り口にある防波堤
防波堤が作られた湾口としては世界で最も水深の深い釜石湾。

防波堤があるこの場所は水深が63mあります。
そこに、近くの山から切り出した岩石を堤のように水深30mまで積み上げます。
さらにその上にケーソンと呼ばれる大きなビルディングのようなコンクリートの箱を載せます。
ケーソンの大きさは、大きなもので30mX30mX30m。
たくさんのケーソンを北堤と南堤に並べ、
最後に上部構というコンクリートを積み上げて完成となります。

と簡単に書いてしまうと、たった5行で済んでしまいますが、
1978年の着工から2008年の完成までに30年。
総工費1200億円。
それでも釜石の街を、多くの人々を救うことは出来ませんでした。
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私も釜石港湾口防波堤建設記録の映像撮影として長い間この防波堤に関わってきました。
大学を出て、映像制作会社に就職。
その会社が運輸省の港湾建設の記録映像を撮影製作していた関係で、
釜石、宮古、大船渡、久慈、小名浜、東京などの港湾建設に関わらせてもらいました。
その中でも、釜石港湾口防波堤は、着工直後から完成間近まで関わってきました。
多い時には、毎月のように東京から車を飛ばして釜石に通っていました。
私の20代前半から40代後半までの、いわば私の仕事人生そのものといった感じです。

その湾口防波堤が釜石の街を救えなかったことには、
やはり無念な思いがあります。
壊れた防波堤を遠望し、被災した街に立ち、
家を失い、家族を失い、そして命を落とされた方々のことを思うと、
その思いは一層強くなります。

私は防波堤工事の主要工程を記録するだけのいちカメラマンでしたが、
防波堤工事に直接関わってこられた技官や建設会社の方々の思いはいかがなものでしょうか。

今後の評価を待つしかありませんが、
むかし技術研究所で見せてもらった実験で、
水深の深い湾での津波の破壊力の大きさに驚かされました。
釜石港湾口防波堤の存在意義が少しでも認められることを祈るのみです。
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釜石港の空間放射線量は、約0.16mcSv/h。
神奈川県の我が家と同じ値が出ています。

釜石市には内陸の花巻から遠野を抜けてやって来ました。
遠野市は、0.08mcSv/hが平均値でした。
福島原発事故前の値からはそれほど増えていない。
文科省は、岩手県の内陸部は、一関市周辺を除いて線量は低目と発表しています。

このロシア製のガイガーカウンターを使って、
実際に車で移動しながら道々測ってきました。
正確な値は測れているとは思いませんが、
相対的な値としては評価できると思っています。

岩手県の釜石市から宮城県の名取市までの沿岸部、津波被災地で、
ところどころで測定してきました。
0.14~0.22mcSv/hの値が観測されました。
東京都や神奈川県と同じ位の空間放射線量と言うことでしょうか。

震災がれきの広域処理が大きな問題になっていますが、
津波に襲われ瓦礫が残る地域には、
福島原発事故前に比べて、2倍から3倍の空間放射線量があるのだと思います。

また、東北大や神戸大などの調査で、
海底に溜まっていたヒ素や重金属が津波によって巻き上げられ、
それらが津波被災地の各地の泥の中に含まれているそうです。
ヒ素の環境基準を4倍から5倍も超えてしまう地域もあるそうです。
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釜石市唐丹町。
防潮堤が破られています。
津波は防潮堤をはるかに超え、手前の斜面まで届いています。

破壊された家屋や瓦礫は、すでにきれいに撤去されています。
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唐丹湾に入ってきた津波。
湾口から真っ正面にあるこの防潮堤に一番強い力が加わったのでしょうか。
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防潮堤を背にして見ると、
低い段にある建物は根こそぎにされています。
そして流れの勢いは右の方に流れ、
高台の上の家屋を何軒か破壊しています。
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↓ 遠くに見えるのは唐丹小学校。

左手の防潮堤から海を見たら、
足元に被災がれきが山積みにされていました。
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瓦礫はきれいに分別されています。

奥から、流木、コンクリート瓦礫、金属類、
手前は、布団やプラスチック類、
右奥に、白物家電。
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こちらは、家屋の木材瓦礫です。
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生活の一部だった物が瓦礫となって山積みされています。
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この山は、布団や衣類、家財道具など生活感が伝わってきて、けっこう辛いです。
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最後まで警報を鳴らしていたと思われる防災放送の拡声器も、
金属瓦礫の山に置かれていました。
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瓦礫の山にガイガーカウンターを近づけてみました。
平均値 0.14mcSv/h。
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陸前高田の奇跡の一本松。

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昨年9月に訪れた時は、津波被害の規模の大きさに愕然とさせられた陸前高田。
瓦礫はかなり片付けられ、広大な平地にいくつかの鉄筋の建物が残るだけとなっています。
空き地には瓦礫の山が築かれ、分別が粛々と続けられています。
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近くの空き地で放射線量を測ってみました。
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平均値 0.15mcSv/h。
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近くに「雇用促進住宅・陸前高田第二宿舎」の建物が残っています。
今回はあえて内部を見させてもらいました。
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海側に面した建物は、4階まで波が達したようです。
窓枠も破壊され、家財道具もほとんど残っていない状態です。
ひょっとしたら、内部の片付けが進んでいるのかもしれませんが、
見た印象では、強い流れに持ち出されてしまったようにも思えました。
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5階から海を眺めてみました。
すぐそこに海があります。
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海側の建物によって津波の力が弱められたのでしょうか。
山側の建物のバルコニーのフェンスは、多くは壊されずに残っています。
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山側の建物の部屋に入ってみると、どの部屋にもかなりの家財道具が残っています。
救助活動で物が動かされたと言うこともあるでしょうが、
滅茶苦茶な状態で、震災によって生活が破壊されるという辛い一面を見せつけられました。
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「雇用促進住宅・陸前高田第二宿舎」
Googleマップでは「定住促進住宅下宿団地」から北西方面を眺める。
まん中の白い建物は市民体育館。
右の青い屋根は高田高等学校。
手前はがれき集積場。
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岩手県立高田高等学校。
海岸線からわずか1キロのところにある。
校舎は3階まで津波にのまれ、12名の生徒と1名の教師が命を落としました。
学校は避難場所に指定されていて避難した住民の多くが亡くなっているそうです。

それでも、津波の報を聞き、
野球部員などの生徒がお年寄りを背負って裏山に逃げ、
多くの人々が津波の危機から逃れたそうです。

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高田高校の体育館。
津波に押され、校舎に体育館が覆い被さるような状態になっていました。
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体育館の内部には瓦礫が残されたままです。
ここに避難していて津波に呑まれた人もいるのでしょうか。
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生徒がお年寄りを背負って逃げた裏山です。
山肌や木の枝には、かなり高いところまで物が引っかかっています。
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この裏庭の平均値、0.15mcSv/h。
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陸前高田市民体育館。
ここでも多くの住民が亡くなっています。
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約80名がここに避難していて津波に襲われる。
濁流は天井にまで達し、住民を呑み込む。
わずか3名の方が天井の梁につかまり助かる。
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わずか3名。
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大船渡線陸前高田駅 跡。
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津波被災地では、ガラスや金属などの鋭利な物が地面にいっぱい落ちています。
肉球を守るため、多くの時間を車の中で待機させられた陸。
よく言うことを聞いておとなしくしていてくれました ◎
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東北の旅 その2へ続く





プロフィール
神奈川県に住んでます

takariku

Author:takariku
と相棒 甲斐犬の陸のブログです

mail : takariku@auone.jp は2013年9月で使えなくなりました。


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